展示物紹介

屋外常設展示

「200系新幹線先頭車両」の写真

200系新幹線先頭車両

200系新幹線とは?
200系新幹線は、1982年(昭和57)に暫定開業した東北新幹線(大宮~盛岡)・上越新幹線(大宮~新潟)でデビューした新幹線です。その後2013年(平成25)までの約30年にわたって、少しずつ改良されながら、東北・上越新幹線で多くの人々を運びました。長野新幹線が開業した長野オリンピック(1998年(平成10))の際には、長野新幹線にも乗り入れました。

200系新幹線の特徴
 先頭車両のまるい「だんご鼻」は、最初の新幹線である0系新幹線に似ています。しかし、スカートにスノープラウとよばれる雪かき装置がついていること、床下の機器をなるべく露出させない構造になっていることなど、雪が多く積もる地域を走るための技術が採用されています。

「ここが見どころ!」のイラスト
「駅員」のイラスト

 この車両は2013年春まで東北・上越新幹線で使われていたK47編成の1号車にあたります。この編成は、リニューアル工事をへて新しい塗装になっていたものを、2007年(平成19)にオリジナルの塗装へ戻したものです。200系新幹線の最後の走行の際に使用され、引退したのちJR東日本より新潟市に譲渡されました。

「C57形式蒸気機関車19号機」の写真

C57形式蒸気機関車19号機

C57形蒸気機関車とは?
 C57形蒸気機関車は、1937年(昭和12)から201両製造された日本の旅客用蒸気機関車を代表する機関車です。「シゴナナ」・「貴婦人」(ボイラーが細身で優雅に見えることにちなむ)の愛称で多くの人に親しまれています。
 2013年(平成25)現在、C57形蒸気機関車は、1号機がSLやまぐち号、180号機がSLばんえつ物語号の機関車として活躍しています。この2両のC57は、同じ時期に新津機関区に配属されていました。

「駅員」のイラスト

この機関車は1938年(昭和13)1月に川崎車両で製造されました。
小郡機関区(山口県)ののち、各地の機関区をへて、新津機関区に配属になりました。
1972年(昭和47)9月に引退した後は、鳥屋野交通公園(中央区)で保存されていましたが、2014年(平成26)より新津鉄道資料館で展示公開することとなりました。

「485系電車先頭車両」の写真

485系電車先頭車両

485系電車とは?
国鉄時代の特急形電車を代表する形式です。1968年(昭和43)から1979年(昭和54)にかけて在来線の交直流すべての電化区間で走ることができる特急用電車車両として製造されました。四国を除く全国で活躍しました。

新潟と485系電車
新潟周辺では「白鳥」「雷鳥」「いなほ」「北越」などの電車特急や、快速「ムーンライトえちご」「くびき野」で用いられました。2015年(平成27)3月のダイヤ改正で485系電車の多くが引退しました。
現存する485 系車両は、改造や塗装の変更によって製造当初の形状から大きく変化している車両が大半です。国鉄時代の面影を残す当館の保存車両クハ481-1508は貴重です。

「駅員」のイラスト

この車両は2015年(平成27)6月まで新潟車両センターに配置されていたT18編成の6号車にあたります。北海道で使用することを想定された485系電車1500番台の車両で、北海道での運行を終えたのち、四国などを除く日本各地を走ったことがあります。国鉄の電化区間であればどこでも走ることができる485系電車の特徴を体現した経歴を持つ車両です。

「DD14形ディーゼル機関車」の写真

国鉄DD14 形式液体式ディーゼル機関車332号機

DD14形ディーゼル機関車とは?
豪雪地帯の鉄道で活躍した国鉄時代のロータリー式除雪用機関車です。1960年(昭和35)から1979年(昭和54)にかけて43両製造されました。線路の上にある雪を先頭につけたロータリーヘッドでかき寄せて取り込み、線路の外に吹き飛ばします。

新潟とDD14形ディーゼル機関車
雪の多い新潟県では、冬季の積雪によって鉄道の運行がしばしば乱れました。1963年(昭和38)の「サンパチ豪雪」では、平野部に積もった雪のため、鉄道の運行が記録的に遅れる事態が生じました。
蒸気機関車時代は除雪作業には複数の除雪車両が必要でしたが、ロータリーヘッドをつけたDD14形ディーゼル機関車によって、1両で除雪作業を行うことが可能となりました。
新潟周辺では主に上越線や只見線など豪雪地帯で活躍しました。現在、鉄道路線の除雪作業は小型のモーターカーで行うようになりました。

「駅員」のイラスト

DD14形ディーゼル機関車による除雪作業は、機関車を運転する機関士が1名とロータリーヘッドを操作する保線区の職員3名の計4名で行われました。かき寄せた雪を左右に飛ばす際、沿線の建物や民家に雪をぶつけて破壊しないように、細心の注意を払いながら作業したそうです。

「E4系新幹線先頭車両」の写真

E4系新幹線先頭車両

E4系新幹線とは?
東日本旅客鉄道(JR東日本)の全車2階建て新幹線車両です。それまで走行していた200系新幹線電車の置き換えや増加する旅客需要に対応するため、全車2階建て車両として先行して導入されたE1系とともに「Max - Multi Amenity Express -」の愛称が与えられました。8両編成を2本連結した場合の定員は1600人を超えます。

上越新幹線とE4系
1997年(平成9)から運転を開始し、2001年(平成13)からは上越新幹線での営業運転が開始されました。2012年(平成24)からは上越新幹線の「Maxとき」「Maxたにがわ」でのみ運用されており新潟の人々に親しまれています。2017年(平成29)、JR東日本から順次引退させる方針が発表されました。

「駅員」のイラスト

E4系新幹線は、デビュー時は帯色は黄色でしたが、リニューアル後は「とき色」に変更されました。
この車両は2017年(平成29)6月に新潟市東区の新潟新幹線車両センターから新津鉄道資料館まで特殊トレーラーでけん引されて道路を使って陸送されました。全高が4m50cmもある2階建て新幹線の陸送ということで、新聞やテレビで全国的に報道されました。

「115系電車」の写真

国鉄115系近郊形直流電車

115系電車とは?
国鉄時代に製造された直流区間用の近郊形電車です。寒冷地区・急勾配路線での運用を配慮して設計され、1963年(昭和38)から製造されました。

115系電車と新潟
新潟では旧型国電の置き換えのため1976年(昭和51)から配置が開始されました。1978年(昭和53)からは耐寒・耐雪構造を強化した1000番台が新製配置されるようになりました。1984年(昭和59)の越後線・弥彦線電化開業に伴い全国から車両が集められ、さまざまな種類の115系電車が走るようになりました。「新潟色」「弥彦色」と呼ばれる地域独自の配色で塗装された車両が配置されました。
2015年(平成27)から、新津で新製されるE129系電車に置き換えられ、115系電車は数を減らしています。

「駅員」のイラスト

115系電車は、国鉄時代に全国各地の直流電化区間に近郊形電車として配置された電車です。国鉄分割民営化以後も、それぞれの地方で特色のあるカラーリングで走行しました。新潟では、標準的な配色で全国各地に配置された湘南色のほか、初代新潟色、二代目新潟色、三代目新潟色、弥彦色などの車両が在籍しました。
緑色と黄緑色のラインの入った当館の保存車両は二代目新潟色にあたります。

 
 
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